Mis Snow Man時代のエピソード

スノーマン 宮舘涼太 ジュニア時代最大のピンチ「ジャニーさんに直談判しに行った」

Snow Man(スノーマン)は2020年1月22日にメジャーデビュー。

2019年11月に発足した公式ファンクラブもわずか1年2ヶ月で40万人を突破する(2021年2月時点)など、ジャニーズグループの中でも最も勢いのあるグループです。

そのSnow Man(スノーマン)のメンバーである宮舘涼太(みやだてりょうた)さん。

ジャニーズJr.時代、最大のピンチはSnow Man(スノーマン)の前身グループであるMis Snow Man(ミス スノーマン)が事実上の解散となった時だったそう。

2009年に結成されたMis Snow Man(ミス スノーマン)

2011年に

  • メンバーの離脱(真田佑馬と野澤祐樹が「noon boyz」を結成)
  • SnowManメンバーの阿部亮平(あべりょうへい)が大学受験のためJr.の活動休止

これによってMis Snow Manは事実上の解散となりました。

そのとき、宮舘涼太(みやだてりょうた)くんは故・ジャニー喜多川社長に直談判にいったそうです!

俺、ジャニーさんに直談判に行ったんです。怒られてもいい。嫌われてもいい。でも、Mis Snow Manを応援してくれたファンがいる。”その人たちどうすんの?”って聞かずにいられなくて。そしたら冷静に言われたんですよ。”YOUに何ができるの?”って。悔しかったですね、図星だった。せめてもの反抗じゃないですけど、”ジャニーさんとこうやって話し合うことはできる!”って捨て台詞を吐き捨てて部屋を出て。それから、もう言葉では説得できないと思い、とにかくがガムシャラにパフォーマンスでジャニーさんにアピールして

Myojo 集英社 2021年1月号 10000字ロングインタビュー『僕がJr.だったころ』SixTONES・Snow Man編 第7回宮舘涼太

それでもMis Snow Manの解散という事実が覆ることはありませんでした。

グループ名がなくなり、そのころ残ったメンバーたちは”岩本たち”と呼ばれていたそうです。

その当時のメンバーの様子は雰囲気が最悪。

「これまであんなに仲良くやっていたのに、みんなで同じ方向をむいて頑張っていたのに、どうしてこんなにバラバラになってしまうんだよ!」

宮舘涼太(みやだてりょうた)くんはやるせない気持ちで、我慢できなかったそうです。

そこで一回目の直談判から3ヶ月後、もう一度ジャニーさんと話し合うためにひとりで会いにいったそうです。

思いの丈をぶつけて。あまりの俺のテンションにジャニーさん”わかったよ。話してみる”って。俺は”誰と話すの?社長がOK出せばいいんじゃないの?”って思ったけど、そこは引き下がるしかなくて。でも、それから少しずつ”岩本たち”と呼ばれなくなって行ったんです、その後、「滝沢歌舞伎」でSnow Manが生まれた。あとからわかるんですけど、ジャニーさんが”話してみる”って言った相手が滝沢(秀明)くんだったんですよね。

Myojo 集英社 2021年1月号 10000字ロングインタビュー『僕がJr.だったころ』SixTONES・Snow Man編 第7回宮舘涼太